Nichiren Shoshu

Myoshinji Temple

正像末の三時について

2017年 2月度御講原稿

本日は、「正像末の三時」について、『聖愚問答抄』
 時に正像末あり、法に大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非
 なり。折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ
 是を知るべし。                     (御書402頁)
の御文をみんなで拝して、御報恩の誠を尽くしたいと存じます。
 はじめに、日蓮大聖人は
 時に正像末あり、法に大小乗あり(同頁)
と仰せであります。
 釈尊は、自らの入滅後の未来における仏法流布に、正法時代、像法時代、末法時代と三つの時代配分を大集経等に説かれています。経典によっては、五百年と一千年との違いがありますが、第二祖日興上人は、
『三時弘經次第』に、
 一 佛法流布之次第
   一 正法千年流布 小乗 権大乘
   一 像法千年流布 法華迹門
   一 末法万年流布 法華本門       (歴代法主全書 第1巻42頁)と御教示されています。
 日蓮大聖人は『撰時抄』に、
 大集経に大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固 已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固 已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没せん等云云    (御書836頁)
と三時を五箇の五百歳として示されています。
最初の正法時代の一千年は、釈尊の教(教法)、行(修行)、証(悟り)が正しくそなわっている時代であり、仏道を求める衆生も過去に善根を積んだ機根であったので、釈尊の教法によって証果を得ることができました。
五箇の五百歳の中では、第一の五百年の「解脱堅固」と、第二の五百年の「禅定堅固」を合わせた一千年をいいます。「堅固」とは、堅く確定している状態を意味します。
 第一の「解脱堅固」の時代は、衆生の根性が素直であったことから、釈尊の法が正しく伝えられ、その仏の智慧を得て、悟りを開くための仏道修行が行われました。
第二の「禅定堅固」の時代は、衆生が大乗の教えを修して三昧に入り、心を静めて思惟の行に専念し、悟りを得ようとする仏道修行が用いられました。
この時代の伝道の人師・論師は、釈尊の弟子の迦葉、阿難等によって専ら小乗教が弘められ、その後、馬鳴、竜樹、天親等によって、小乗教が破折されて、大乗教が宣揚されるなど、釈尊から伝持・弘教の付嘱を受けた「付法蔵の二十四人」が中心となっていました。またこの時代には、阿闍世、阿育王等の外護によって仏典の結集があり、インド全体に釈尊の教えが広く流伝していきました。
次に、像法時代の一千年は、仏法の教えや修行がわずかばかり残っていたとはいえ、証果は得られず、形だけが正法に像(に)た時代となっていたので、像法時代といいます。
五箇の五百歳の中では、第三の「読誦多聞堅固」の時代で、中国に経典が伝えられ、漢訳や講説、教義の研鑚などがおこなわれました。次ぎの第四の「多造塔寺堅固」の時代には、多くの寺塔や仏像が建立され、形の上での仏法流布の姿が見られました。
 像法時代の主な伝道の人師・論師は、羅什三蔵や玄奘三藏等が漢訳や講説に努め、中国では、天台が大乗教法華迹門を弘め、日本では、伝教が法華経を弘通します。しかし、爾前権教である禅宗、念仏宗、真言宗などの邪義が蔓延し、釈尊の仏法が徐々に衰退していきました。
 
 最後の末法時代とは、釈尊滅後二千年以後をいい、釈尊の仏法の力がなくなり、人心は悪化し、世相の争いが絶えない末世法滅の時代をいいます。
 この時代は、教法のみあって修行・証果の無い時代で、五箇の五百歳の中では、「闘諍言訟・白法隠没」にあたります。この「闘諍言訟・白法隠没」とは、釈尊の仏力、法力もなくなり、争いごとが絶えず、天変地夭が連続する時代であります。
 このような濁乱の世相である末法において、釈尊の教法は隠没し、末世の闇を根本から救う日蓮大聖人の南無妙法蓮華経が出現するのであります。
 このことを釈尊は、法華経「薬王品第二十三」の中で、
 我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に廣宣流布して、断絶せしむること無
 けん。                         (法華経539頁)
 と説かれ、五箇の五百歳の最後、第五番目の末法において、末法の仏である日蓮大聖人が、法華経本門寿量品の文底の南無妙法蓮華経を広宣流布して断絶しない事が予証されているのであります。
 以上のように、「正像末の三時」とは、釈尊滅後の時代を三時に分け、教説に基づく修行と証果の相違を述べたものであります。ですから、何でも自分の好きな宗教をやればいいということではありませんし、自分で勝手に教義を作ったり、つけ加えても駄目なのであります。時をわきまえ仏の教えに従順することが大切なのであります。
続いて、日蓮大聖人は末法の修行のあり方について、
 修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失な
 り。然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。 (御書402頁)
と仰せであります。
仏道修行には「摂受」と「折伏」があります。「摂受」とは摂引容受のことで、衆生の機根に応じて相手の主義主張を認めつつ、段々に誘引して正法に化導する方法であります。
一方「折伏」とは、破折屈服の義で、不幸や苦悩の原因が、誤った思想、宗教にあることを教え、相手の邪義、邪見を破折して、真実の幸福を得さしめる行為であります。
 摂受の時には、主な修行として、四安楽行が挙げられます。四安楽行とは、
一、身安楽行(世俗を避け山林等の閑静な所で修行する)
二、口安楽行(相手の非を責めず、穏やかな口調で法を説くこと)
三、意安楽行(他の人に対し闘争心を抱かないこと)
四、誓願安楽行(慈悲の心で一切衆生の救済を誓うこと)
であり、これらは釈尊在世、並びに正法、像法時代の修行の在り方で、今末法の時代に行ずる仏道修行ではないのであります。従って、今は摂受を行ずる時か、折伏を行ずる時か、時を知るという事が大事なのであります。
日蓮大聖人は『如説修行抄』に、
  然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる
  者にあらずや。鶏の暁に鳴くは用なり、よいに鳴くは物怪なり。権実雑乱の時、
  法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ籠りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行
  の時を失ふべき物怪にあらずや。             (御書673頁) 
と仏法の修行において摂受・折伏の時を違えたならば、冬に種を植えて、春に収穫を待つようなものであり、また、朝を知らせる鶏が夜中に鳴くようなものであって、利益がないばかりか、かえって悪害となるのであります。
同じく『如説修行抄』には、
  法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法
  王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同
  に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代
  は義農の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老
  不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者な 
  り。                          (御書671頁)
と、一人でも多くの人を折伏して、災害の無い世の中になって、世界の人々も平和になると仰せであります。
そして、日蓮大聖人がその折伏の心構えとして
『四菩薩造立抄』に、
  総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ
(御書1370頁)
とお示しの如く、日蓮大聖人の仰せのままに、折伏育成に励んでいくところに、必ず広宣流布と一生成仏が存するのであります。
 御法主日如上人猊下は、
  すなわち、法華の思想そのものが折伏であり、末法においては、まさしく
  一天四海本因妙広宣流布の達成は折伏をもってする以外にないことを、一
  人ひとりがしっかりと銘記すべきであります。
 されば、大聖人様は『撰時抄』に、
  一渧あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ
  始めしは日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億
  人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。
  仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ。(御書868頁)
 と仰せであります。私どもはこの御金言を拝し、各講中ともに、僧俗一致・異体
 同心して、一意専心、破邪顕正の折伏を実践し、もって来たるべき平成三十三年・
 法華講員八十万人体勢構築の達成へ向けて、勇猛精進することが最も肝要であり
 ます。                     (大日蓮848号56頁)
 と御指南であります。今、末法の時代は、日蓮大聖人の仏法である本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目という三大秘法の南無妙法蓮華経を弘通すること、折伏し育成に励んでいくことによって、国土は安穏となり、自分も家族もそしてすべての人々が幸福になれるのであります。
 これよりも、なお一層自行化他の信心修行に励み、2021年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年法華講員80万人体勢構築を目指して精進いたしましょう。