Nichiren Shoshu

Myoshinji Temple

1月度御講原稿

よき師・よき法・よき檀那


立宗765年、折伏育成の年、明けましておめでとうございます。
 総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊と御本仏宗祖日蓮大聖人からの唯授一人の血脈を承継遊ばされる御法主日如上人猊下並びに御隠尊日顕上人猊下を根本の師と仰ぎ奉り、今年もそれぞれの地にあって御法主上人猊下の御指南のもと、自行化他にわたって共々に精進してまいりましょう。
 また、本年の年間実践テーマである
 1 勤行・唱題で折伏完遂
  2 御講参詣で人材育成
  3 さそいあわせて登山参詣
の三項目を年間目標として、「折伏育成の年」の誓願目標の早期完遂を目指して、着実に実践行動して頂きたいと思います。
 さて、皆様がおこなっている「折伏」と「育成」は、車の両輪、鳥の両翼の如く、御命題達成に向かって欠かすことのできない大切な修行であります。
 御法主日如上人猊下は「折伏」について
 折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、自らの過去遠々劫からの罪障を消滅して
 幸せになるための最高の仏道修行であり、そして仏祖三宝尊に対する最高の
 報恩行であり、また仏様から与えられた尊い使命であります
(大日蓮722号22頁)
と仰せであり、一切衆生を救う最高最善の修行であり、私達の尊い使命であることを御指南されているのであります。
 また「育成」については、
 具体的には、折伏をしたら信心の基本を正しく教えることが大事でありまし
 て、朝夕の勤行を教え、戒壇の大御本尊様への登山参詣を教え、御講への参
 詣を教え、折伏することを教えていく、すなわち自行化他の信心を教えてい
 く、これが育成であります。
(大日蓮836号76頁)
と御指南であり、御授戒を受けた方をそのままに放っておくのではなく、事細かに日蓮正宗の信心を教え育成して、その方が折伏できるように育てていくこと、広宣流布の人材に育てることであると仰せであります。
 さらに、御法主日如上人猊下は
 折伏誓願達成の為の絶対要件は、僧俗一致・異体同心の団結であります
(大日蓮839号 5頁)
と、折伏育成を図っていく中で重要なことは、僧俗一致、異体同心の団結をもって精進することであると仰せであります。
 広宣流布や毎年の折伏誓願目標は、決して僧侶だけの力でも、信徒だけの力でも成就できないのであります。僧俗が水魚の思いをなして前進していくことが肝要であり、その基本となるのが、各寺院・布教所等における僧俗の和合であります。
 そして、僧俗和合を図っていくためには、僧侶と信徒、また信徒同士が常々、尊敬と思いやりの心をもって、お互いの異なる立場を理解し合い、信頼関係を築いていくことが求められるのであります。その信頼関係を築いていく上で心掛けたいことは、僧俗がお互いに「よき師」「よき檀那」となっていくよう努力することであります。
 「よき師」について、日蓮大聖人は『法華初心成仏抄』
 よき師とは、指したる世間の失無くして、聊のへつらふことなく、少欲知足
 にして慈悲あらん僧の、経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持た
 せん僧をば、仏は一切の僧の中に吉き第一の法師なりと讃められたり。
(御書1314頁)
と仰せであります。簡潔に言うならば、日蓮大聖人の弟子として、一に世法上の過(とが)のないこと、二に人への諂(へつら)いのないこと、三に少欲知足であること、四に慈悲のあること、五に三大秘法を受持し、折伏を行ずること、以上の五つを挙げられています。
 人を教導する立場にある僧侶は、自行化他にわたって率先垂範の師となるよう心掛けなくてはならないのであります。
 次に「よき檀那」について、日蓮大聖人は
 よき檀那とは、貴人にもよらず賤人をもにくまず、上にもよらず下をもいや
 しまず、一切人をば用ひずして、一切経の中に法華経を持たん人をば、一切
 の人の中に吉き人なりと仏は説き給へり。           (同頁)
と仰せであります。相手の身分の貴賎によって心や言葉、態度を変えたりすることなく、また相手の身分の高い低いによって卑屈になったり、傲慢になったりすることなく、全ての判断は人に左右されずに法の道理を根本として行ない、一切経の中でも法華経を持つ人がよき檀那であると仰せであります。
 つまり、第一に相手の貴賎上下などの身分によらず、一人ひとりを敬い尊重して、平等に接する人。第二には、人や人の言葉によらず、物の道理や法によって物事を判断することができる人。第三には、仏の最勝の教えである日蓮大聖人の正法正義を正直に持つ人が、よき信徒であると仰せであります。
 最後に「よき法」について
吉き法とは、此の法華経を最為第一の法と説かれたり。已説の経の中にも、
今説の経の中にも、当説の経の中にも、此の経第一と見えて候へば吉き法な
り。                            (同頁)
と説かれております。「よき法」とは末法においては、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊であります。
 第二十六世日寛上人は、御本尊の功徳について
 此の本尊を受持する則んば祈りとして叶わざること無く、福として来たらざ
 ること無く、罪として滅せざること無く、理として顕われざること無し。
 故に此の本尊信受の輩は但受持の一行のみにして尚成仏すべし。何に況んや
 本尊の妙法を読誦せんをや               (文段539頁)
と仰せであります。私達は一心に御本尊を受け持ち、生涯に亘って勤行唱題、折伏育成という自行化他の信行に励むことによって、初めて成仏の境界を切り開き、様々な苦の根源を滅し、正しく人生を歩むことができるのであります。
 そして、この「よき法」である日蓮大聖人の正法を信仰している日蓮正宗僧俗は、
よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり。                (御書1314頁)
との御金言を拝し、僧侶は「よき師」となること、信徒は「よき檀那」となることを志し、僧俗和合のもとお互いに切磋琢磨し、声を掛け励まし合うところに、遂には正法広布の大願が成就し、国土の大難をも払うことができるのであります。
 しかし、正しい信心をしている組織とはいえ、未だ修行中の凡夫の身でもあり、魔の働きや煩悩の多き衆生でありますから、諸難や問題等が起きる場合も存するのであります。
 そのような時こそ、私の感情に流されるのではなく、御法主日如上人猊下の御指南を何度も拝し、ご住職の御指導をしっかりと聞いてお題目を唱え、信心を奮い立たせて、御祈念していくことが大事であります。
 日蓮大聖人は『四条金吾殿御返事』
 だんなと師とをもひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。
(御書1118頁)
と御教示であります。祈りを叶えていくためには、信徒と師である指導教師の御祈念が心を合わせたものでなければ、水の上で火を燃やそうとして燃えないのと同じように、その祈りは叶わないと仰せなのであります。
 このように祈りを成就していくためには、「此の三つ寄り合ひて祈りを成就し」
との如く、日蓮大聖人の正しい教えのもと、僧俗が寄り合って、心を合わせ唱題し、御祈念することが大切なのであります。
 そして、僧俗が広宣流布に向かって、共に歩き、共に笑い、共に涙をながし、共に汗をかいて精進していくところに一層深い絆で結ばれていくのであります。
 御法主日如上人猊下は
 広宣流布は僧俗一致です。僧俗一致をもって初めて達成できるのであります。
 よって僧侶だけではできません。信徒だけでもできません。やはり僧俗が一
 体となって広宣流布を達成するのであります   
                        (大日蓮724号92頁)
と仰せであります。
皆様には、2021年 宗祖日蓮大聖人御聖誕800年 法華講員80万人体勢構築に向けて、よき檀那たるべく、それぞれの地域で広宣流布を目指して、随力弘通に精進されますよう心から念願し、本日のお話といたします。